明日から9月

やっぱり8月は、盛岡としては史上最高の暑い夏でしたね(まだ終わっていないだろと、お嫁ちゃんのつっこみ)。それまでの過去最高は1985年だったと。てっきり1994年だとばかり思っていました。

暇だなぁと思われるかもしれませんが、気象庁の統計データから、8月の最高気温の推移を比較するグラフを描きました。

★2010年 VS 1985年

1985年も、コンスタントに暑い大変な年だったんですね。でも、比べると今年の月末の暑さがよくわかります。高校生の頃ですが、暑さの記憶はありません。

★2010年 VS 1994年

県に採用された1年目、宮古に住んでいました。この頃は職場にエアコンなし、家に扇風機なしだったので、1994年は私の記憶に残る最も暑い夏です。盛岡で、連続真夏日38日を記録した年です。

★2010年 VS 1999年

娘が生まれた年で、寝返りする姿をビデオで毎日のように撮影していた年です。8月前半の暑さが厳しく娘も大変だろうと、エアコンを購入しましたが、グラフのように後半は落ち着いてきたので2~3回しか使わなかったような気がします。

★2010年 VS 1976年

おまけです。1976年(昭和51年)は記録に残る冷害の年です。ひどい年だと、両親がぼやいていたのを覚えています。ちなみに、この年の7月1日、藪川の最低気温はマイナス2.3度を記録しています。

キャンプ2日目

5月2日(土)

キャンプ2日目の朝は、厳しい冷え込みとなりました。大船渡測候所での最低気温は、3.5度なので、ちょうど1年前のキャンプと比べればマイナス10度です。子供たちは、ある程度しっかりした寝袋ですが、私とお嫁ちゃんは安物だったので夜のうちから寒かったです。

テントの外に出て改めて感じたのは、朝冷え込むこの時期のキャンプに、我々が利用したB7区画は避けた方が良いなということでした。ここはキャンプ場の盆地の底に位置しているため、朝日が昇る時間帯、日陰にいる時間が長く、いつまでも寒いこと。我々の視界にある山側のサイトは、朝日に照らされているので暖かそうなのに、我がサイトは、ガクガクブルブル。また、盆地の底は風が弱いわけでもなくタープも破壊されましたし、朝は放射冷却でがっちりと冷え込んだに違いありません。夏は、逆に良いかもしれませんね。

快晴で、やっと暖かくなってきました。いっちゃんは、国語の音読(宿題)です。

11時にチェックアウトして、宮古に向けて出発です。ほとんどの方は、複数泊らしく、チェックアウトする人達は稀でした。我々も今度は、ゆっくりと複数泊したいものです。

いつの間にか、モビリアと国道を結ぶ立派な道路(たぶん県道)が開通していました。

チューリップの生育が遅れています

4月下旬だというのに、暖かくなりません。

盛岡地方気象台の1961年以降の4月の観測データを見ましたが、4月中旬以降で最高気温が1桁台がずっと続いている今年のような気候はないようです。アイスランドの火山爆発の影響も心配で、冷害にならないか心配です。もっと地球温暖化しておけばよかった??

ということで、我が家のチューリップも、過去の同時期に比べて生育が遅れています。低温のため、背が小さい。

2010.4.24

2009.4.19

2008.4.19

2007.4.27

 

 

いっちゃんスキーデビュー

今年から、1年生の息子もスキーを始めました。本当は、私が教えられれば良いのですが、基本をしっかりとして欲しいこと、甘えないで欲しいとの気持ちから、まずはスキーレッスンを受講させることにしました。

■1月9日(土) 雫石スキー場

初めてスキー板をはいたのが、1月1日。これは実家の畑で歩くだけでしたから、この日が初めてのスキー場デビューです。娘と息子は、ジュニアスキーレッスンを受講させ、秘かに私も一般レッスンを受けました。ちなみに、私は最初のレベル分けで初級者行き(涙)。この時点で、息子に指導の資格なし!!

たまに息子の様子も見ることができましたが、一緒に受講している、恐らく初スキーの子供2人に比べて転んでいる回数が多いらしく、ついて行くのがやっとという感じに見受けられました。それでも、午前の部を終えたあとにレッスンの先生と話をする機会があり、「すごく元気ですね。うまいですよ。」と言われました。午後の部はすっかり出遅れを取り戻したらしく、コーチから大声で指示を受けていました。

この日は、おかかにカメラを預けたのですが、寒さでバッテリーが冬眠したらしく、撮影はできませんでした。

■1月14日(木) 雫石スキー場

この冬一番の寒波が訪れたこの日。それでも、事前に子供をスキーに連れていく目的で休暇を取得していたので、スキーを強行しました。雫石は風が強くて、マスクなしの我が一家にとって顔面凍傷になりそうな日でした。平日でもあり、ツアー客やスポ少っぽい子供たちを除き、ふらりと訪れた一般客はいない、そんな閑散とした雰囲気でした。

私は、前回のレッスンで受けた指導の復習をしながら、子供たちを観察していました。リフトに乗っていても強風で煽られ、顔もピリピリとして痛く、子供たちから泣きでも入るかも、午前中でリタイアかな~と思っていました。午前の部を終えて先生に様子を聞いたところ、「いやぁ~、元気ですね~。休憩しようと言ってもしないんですよ。」とのこと。やっぱり、うちの息子って元気なんだ。。。。

ちょっと昼休み。

午後は、初級ロマンスリフトを卒業して、パラダイスコースに連れていかれました。天候もいくらか回復し、子供たちは頑張っていたみたいです。スキー2日目にして、この斜度は上出来かな。

■1月17日(日) 八幡平リゾートスキー場

気温は低いのですが天候に恵まれ、親子そろって自由に滑った一日でした。4人乗りクワッドで、なぜか降りる瞬間に恐れを抱いていた息子でした。

スキー3回目にして、息子と上から下までずっと一緒に滑ることができました。スキーのハの字の先端が開きすぎるみたいなので、少しずつ調整していかなければなりません。

地球温暖化論への挑戦

めっきりと読書量が減っているこの頃ですが、都南図書館から「地球温暖化論への挑戦」という本を借りて、さっき読み終えました。

専門家ではない著者だけに相当な数の報告書や論文や引用して、地球温暖化に関する諸説をとてもわかりやすく解説しています。地球温暖化の主犯は、現代社会が大量に排出する二酸化炭素という説が何の疑いもなく信じられています。しかし、引用されている科学達の主張が本当にバラエティに富んでおり、単純な図式になっていないことが良くわかります。これらの主張に対して一つ一つ科学的根拠をもって反論できないと、「温室効果による地球温暖化」は嘘になってしまいそうです。

印象に残っており、勉強になったことや、誰かに教えたいなと思ったことをメモしておきます。

(1)いつでも未来は残酷(予言機械)

(2)コンピュータによる数理シミュレーションは本当か?
(地球の完全コピーは困難、諫早湾の干拓)

(3)70年代は「地球寒冷化」が問題になっていた。ある地域の干ばつが、70年代は寒冷化が原因と分析されているのに、今は温暖化が原因と分析されている。

(4)平均気温の上昇(年代別の比較)は、地球平均気温がそもそも正確に測定できているかどうか怪しい。

(5)異常気象は増えていない。被害が大きいのは発展途上国、それはかつての日本(伊勢湾台風とか)と同じインフラ未整備や、危険なところに住まざるを得ない状況も原因があること。

(6)地球はかつては温暖で(グリーンランドとの交易記録)、有史以来(といっても紀元後)最も寒い時期と比較して「温暖化」と言っている。

(7)温暖化で南極の氷は増え、寒冷化すると雪が降らないので南極の氷は減る。南極の氷は融けるのは当たり前だし、そうでないと増える一方である。そもそも増減は微小であることは多くの専門家が認めること。

(8)北極の氷が融けて何が悪い。寒冷化の時代は、氷による被害に悩まされたではないか。

(9)太陽活動と地磁気の変化が、毎年の気温変化に大きな影響を与えているらしい。

(10)二酸化炭素による熱の吸収は既に飽和している(いま以上キャッチできない)との説がある。

(11)温度が高くなると二酸化炭素が増加するという統計データがある。最も二酸化炭素を吸収する海が温まれば、ビールの気が抜けるのと同じで吸収できなくなる。

(12)植物の光合成工場は、原料の二酸化炭素不足のため稼働率が低い。今より5倍はいける。

(13)成人式のクラッカーと、大臣へのパイ投げ。パイ投げはなぜ批判されないのか。

(14)禁止より脅迫は悪であること。

(15)人類の未来が危ないと言っておきながら、世間の軽さはいったい何なのか(笑)。

これだけ並べられると、行政を筆頭とする地球温暖化防止キャンペーンを、ちゃんと聞くのがあほらしくなってきそうです。マスコミをはじめとして不安を煽ることで商売繁盛する業界もあるし、理由づけが簡単にできるようになるんですよね。やっぱり、必要以上に踊らされ、過剰反応するのも良くないなと感じました。

でも省エネ、節約はやっぱり美徳ですから、できる範囲のことはやっていかないといけません。この「できる範囲」って言うのが便利な言葉ですけど(笑)。