3年ぶりの釣り

息子の3年間のハンドボール生活が終わりました。

3年連続の全国出場はならなかったものの、東北大会にコマを進めた、息子達の代も強かった。先生の指導手腕によるものですが、厳しい練習についていった生徒達も素晴らしかった。

ということで、やっと時間のゆとりが出来たので、中学に入って初めての海釣りに言ってきました。お嫁ちゃんの実家に行ったついでです。

場所は、宮古市の重茂半島の白浜。小雨の中の釣り決行になりました。

釣果がゼロでなくて良かった(^^;)
釣った魚の名前が、わかりません。ソイ?

すべては時間が解決してくれる

仕事の方では、あれもある、これもあると日々悩んでいたが、出来ることを一つ一つこなしていたら、何とか目途がついてきた。すべては時間が解決してくれる。

息子のハンドボールも8月の引退が迫ってきた。最後の3年生になって出番が本当に無くなった。同学年7人居て、一人だけ控え専任になり、親として心中穏やかではいられなかった。春の福島での交流大会は娘の引っ越しとぶつかり、6月の郡中体は私の仕事が忙しいという”幸運”に恵まれ、応援しなくて済んだというのが正直な気持ちであった。

先の県大会は用事が無かったので、全ての試合をビデオ撮影した。団長とビデオ係の二役か。。。。

1、2回戦は余裕だろう。一緒に頑張った3年の仲間と10分位は一緒にプレーできるだろうと思ったら!その夢も崩れ去った(笑)最終日を残して、我ら夫婦はへこんでいた(本人の気持ちは確認できていない)。

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誰か関係者、お読みになっています?正直な気持ちくらいは、書かせて下さいね(^^;

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幸いにも、準決勝の厨川中戦は延長、決勝の矢巾北中戦は残りゼロ秒での逆転を許すという名勝負で、それまでのモヤモヤを忘れさせてくれるチームメイトの頑張りがあった。あの試合を見て、こんな素晴らしいチームで息子がレギュラーになれる筈がないことを痛感し、やっと気分が晴々した。三連覇はならなかったが、一段、一段、確実に強くなった、この代も素晴らしい。東北大会でも更に成長した姿を見せてくれるのではないだろうか。

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それから、10日経った。あのモヤモヤは一体何だったのだろうか。そんな気持ちである。すべては時間が解決してくれる。

今日は、G高のオープンスクールに息子と一緒に参加した。保護者説明会では、お母様方からの質問が相次いで私も大変勉強になった。あれも、これもの質問。。。大事な息子さんのことですから!お母さん、ありがとうございます。体育館での部活体験はテニス。隣はハンドボールだったので、違和感がかなりあった(爆)。

高校受験、どんなことがあっても前向きにいけるよう取り組んでいきたいものである。

 

福島

ゴールデンウィークは、福島県石川町強化練習会に参加した矢巾中学校ハンドボール部の様子を見に行ってきました。会場はクリスタルパーク石川、山間部の町にしては立派な施設で、学法石川高校がありますし、スポーツ振興に力が入っている様子が窺えます。

参加した学校は、男女とも福島県内外から多数、千葉や埼玉の中学校からの参加もあります。体育館2面、屋外10面のコートで、2泊3日練習試合漬けです。様々なチームと対戦し、自分たちの強み、弱みが確認できたことを期待します。息子の話は。。やめておきます(笑)

帰り道は石川町からいわき市へ、そこから国道6号線を北上しました。理由は、原発事故の放射線量の多い帰還困難区域の状況をこの眼で見たい思ったこと。広野町、楢葉町、富岡町とニュースで何度も聞いた町を通り北上していきますが、国道沿いは、やや寂れた地方のバイパスと同じ雰囲気で被災地という感覚があまり有りませんでした。

しかし、大熊町、双葉町に入ると様子が変わってきます。

一見、普通の町に見えるものの、バイパス沿いの全ての店、ガソリンスタンド等の入り口が封鎖されています。市街地への交差点も、警備の人がいるところもあれば、完全封鎖のところもあります。一時帰宅の団体の方々のマイクロバスも停まっていました。

時間が止まったような町を興味本位で訪れたことを恥ずかしく思いましたが、現実は見られました。

帰還困難区域を通り抜け、久しぶりの営業店舗である、浪江町役場近くのローソンで一時休憩。そこから先の南相馬市では、全く普通の日常生活という風に見受けられました。※いろいろ、ご不便はあるかと思います。

帰宅後、この地域の自宅への帰還を果たしたご家族の明るいニュース映像を見ましたが、現地を訪れなければ分からなかった感動がありました。必ずしも帰還することが最善ではないご家族も多数おられると思いますが、あの現実を忘れられるような生活を取り戻して欲しいと思います。

最後のハンドボールシューズ

12月に購入した息子のハンドボールシューズが早々に傷んでしまい、また新調しました。前回のシューズ、アシックスは彼の足に合わなかったのか、通信販売で購入したためサイズ合わせに失敗したのか。

その1つ前に店頭で購入したミズノは長持ちしたので、同じ店で再びミズノを買ってきました。残り、4・5・6・7月、彼が輝くことはあるかな?

娘のお城造り

娘の引っ越しが本日完了し、夫婦で帰ってきました。

お嫁ちゃんと娘、私の3人で出発したのは25日の午前3時、荷物を満載して東北自動車道で南下し所沢についたのは午前10時。部屋のレイアウト、ホームセンターや100円ショップへの買い出しで、初日は午後8時までかかりました。2月の部屋探しで娘が即決した物件でしたが、白物家電の置き場所、コンセント、カーテンレールの設置など、あるゆる場面で支障があり大変な苦労をしました。娘が生活に不便しないようにと、夫婦揃って気を揉んだのは、彼女が生まれた時以来かもしれません。

2日目も、生活用品の収納場所づくりのために何度もホームセンターに通い、想定した予算をどんどん上回り、金銭感覚が麻痺状態に。インターネット接続用の機器が届かない、風呂のシャワーが水漏れがする(新品に交換!)、年季の入ったエアコンがいきなり故障する(新品に交換してもらえる!)等のトラブルも相次ぎ、「ああした方が良い、こうした方が良い。」と家族の会話は怒り口調になっていく。。が、ほぼ完了。

3日目は、市役所への転入届を済ませました。

娘は、進路の検討、それよりも前から一人暮らしを渇望していました。その動機はいつの時代にもある、単なる「都会への憧れ」のようでした。ある時、そんな動機なんですよ。。と職場の女性先輩にぼやいたところ、こんな言葉を掛けられました。

「先生(いっしぃ)のお嬢さんは、動機は何であれ、自立しようとしているんです。今は、親離れ、子離れしない親が沢山いるんです。先生は、自立しようとするお嬢さんに育てたんです。それで宜しいんじゃないですか?」

なるほど。娘の一人暮らしに不安を感じりる時は、この言葉を思い出し、良いことをさせているのだと自分に言い聞かせています。

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「これから、サバイバルが始まる。。」

これは、転居先の最寄りのスーパーマーケットで一緒に買物をした時の娘の言葉です。18年間手塩にかけた娘が、世間に果たして通用するのか!?周囲の皆様に、多少の迷惑を掛けるのは致し方ないと思います。ルールを守ったゴミ出し、ちゃんと出来るかな。

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家族3人が引っ越しで悪戦苦闘している間、息子はハンドボールの福島遠征で一泊、一人で留守番一泊でした。こちらは良く出来ました。