天気予報のバカヤロー

9月19日は、PTAレクリエーションの南昌山登山の予定でしたが、雨天が予想されたので延期にしました。

朝5時の発表では、降水確率60%で昼過ぎまで雨という予報です。朝6時30時点で、曇り模様だったし、初めは見えていた南昌山も雲の中に隠れてきました。アメダスでは西の方から雨量が観測されており、秋田では降っていたので、岩手もそのうちだろうと考えました。そして、委員長の私と、副委員長の佐々木さんとで電話で相談し、間違いなく雨が降りそうだし、予備日もあることから無理をせず延期をすることに決定したのです。

その後、朝よりも空は暗くなり小雨も降ってきたのですが、すぐに止んで、その後は空も明るくなって雨も降らずじまいでした。何だよ、陸上記録会の日は、昼過ぎから降るって言っておきながら朝から降ったくせに、今回は逆に降らないのかよ。くそ。

「これなら出来た。。。」
「とりあえず現地集合してから、判断すれば良かった。。。。」

連絡網で延期を伝えたときには、「延期ですか。理由は?」的な反応も一部あったので、自分たちの判断の後悔と自責の念で、気分の優れない一日となりました。

夜に、PTAの次の企画の件で佐々木さんに電話して、朝の話題を出しました。

朝の判断をちょっと早まったかもしれないという私に、佐々木さんは

「いや。今日のは仕方がないと思いますよ。延期にすれば晴れる。実施にすれば雨が降る。そんなの良くある話ですよ。この事をどうのこうの言う人なんか居ませんよぉ~(笑)。」
「こっち(広宮沢)は、一時、ザーッと降ったんですよ。いつまでも降り続くんじゃないかいというぐらいでしたよ。」

いいわぁ、佐々木さんのこの落ち着きぶり。この電話で私は救われました。ちゃんと雨は降ったんだ。

佐々木さんは、私が気苦労しているんじゃないかと思って電話しようかと思っていたそうです。嬉しいけれど、だったら本当に電話してくれれば良かった。。。

以上、主催者じゃない人とっては、大したこと無い話ですけどね(笑)。

失格

9月16日は、昨年に引き続き、矢巾町小学校陸上記録会のトラック競技の決勝審判員のお手伝いでした。
初めての経験だった昨年はえらくプレッシャーを感じたものでしたが、今年はだいぶ精神的な余裕がありました。間違いだろうが何だろうが、とにかく自分の眼で見えたとおりに順位をつけるしかないですからね。

朝からずっと小雨状態の一日でした。

娘は、昨年度と同じ100mと4x100Rに出場しました。ほぼ予想通り100mは4位でした。ちなみに記録会は、原則として一人1種目の出場(リレーを除く)となっているらしく、各学校のエース級がすべて100mに出場しているわけではありません。エース級が揃えば、良くて8位ぐらいかな。

期待は4x100Rでした。昨年度は2位でしたが、今年は練習のタイムは良いと聞いており、念願の1位を狙えるとひそかに期待していました。

娘は第1走者です。スタートの合図と共にぐんぐん加速しています。明らかに第1走者のなかではピカイチで、(たぶん)1位でバトンパスの時を迎えました。その瞬間をじっと見ていましたが、スタートを切った次走者のRちゃんとの距離が一定で、なかなかパスできません。

「まずいっ!」

思わず審判席で叫んだ瞬間、二人は立ち止まってしまいました。再び走り出したものの、結局、順位は下から2番目でした。

残念。期待してだけに口惜しい。本人じゃなくて、親のくせに口惜しかった。

リレーはつきもので、いつも心配することですが、陸上記録会の最後でこうなってしまうとは。娘は大丈夫だろうか・・・

娘は誰だったかと一緒に泣きながら、コース脇を歩いてきました。たまたま隣にいた学校の先生が「泣いていますよ。」と私に話しかけました。私は心の中で「そんなの言われなくても、知っているわい。ふんっ」と思い、無視してしまいました。

やっちまったと思いつつ、「これは娘が悪いわけでもなく、Rちゃんが悪いわけでもない。ギリギリの所で、頑張るからこういう事が起こるのだ。」と自分に言い聞かせました。それよりも、娘本人、そしてチームメイトの心境は?娘に対して、どう思っているのかとても気になりました。

学校からとぼとぼ帰ってきた娘に、声をかけました。

「残念だったな。」
「うん。」
「みんなは何て言ってた?」

チームメイトは「気にするな。」「仕方ないよ。」と二人を慰めてくれたそうです。きっと皆、口惜しさを何とか心の奥にしまって、精一杯の優しさを見せてくれたのだと思います。ありがとう。そして、娘も、今よりももっと人にやさしくなれるだろう。

「ipod(ゲーム)やらせて。」
「ああ、いいよ。今日は、好きなだけやっていいから。」

私も、小学生の頃は4年から6年までずっと陸上記録会のリレーメンバーでした。順位は全く記憶にありませんが、バトンパスで次走者の岩佐君に渡せず、ふっとスピードを落としてもらって何とか渡せたという記憶が鮮明に残っています。

当然、娘も一生忘れないでしょうね。

下見

真夏日だったとはいえ、幾分暑さがやわらいだ一日でした。

さて、翌々週の南昌山の集団登山を控え、主催者として、登山道の具合が気になったので下見に行ってきました。五合目までは自家用車で行き、そこから頂上まで徒歩25分程度でつきました(本番は、矢巾温泉から徒歩2時間程度の予定です)。

うむ、6月と変わらない。真夏日にしては、登山道はほとんど日陰でそれほど暑くない。コンディションは良さそうです。

また、今日の夕方から矢巾町ロードレースに向けて、いっちゃんとのトレーニングを始めました。目標は、親子ペア2kmを9分台で走ることです。

明日から9月

やっぱり8月は、盛岡としては史上最高の暑い夏でしたね(まだ終わっていないだろと、お嫁ちゃんのつっこみ)。それまでの過去最高は1985年だったと。てっきり1994年だとばかり思っていました。

暇だなぁと思われるかもしれませんが、気象庁の統計データから、8月の最高気温の推移を比較するグラフを描きました。

★2010年 VS 1985年

1985年も、コンスタントに暑い大変な年だったんですね。でも、比べると今年の月末の暑さがよくわかります。高校生の頃ですが、暑さの記憶はありません。

★2010年 VS 1994年

県に採用された1年目、宮古に住んでいました。この頃は職場にエアコンなし、家に扇風機なしだったので、1994年は私の記憶に残る最も暑い夏です。盛岡で、連続真夏日38日を記録した年です。

★2010年 VS 1999年

娘が生まれた年で、寝返りする姿をビデオで毎日のように撮影していた年です。8月前半の暑さが厳しく娘も大変だろうと、エアコンを購入しましたが、グラフのように後半は落ち着いてきたので2~3回しか使わなかったような気がします。

★2010年 VS 1976年

おまけです。1976年(昭和51年)は記録に残る冷害の年です。ひどい年だと、両親がぼやいていたのを覚えています。ちなみに、この年の7月1日、藪川の最低気温はマイナス2.3度を記録しています。

1994夏 vs 2010夏

今年はなかなか涼しくなりませんね。エアコンのない我が家で日中を過ごすお嫁ちゃんは、毎日ブチ切れています。娘も放課後に陸上記録会の練習をしているので、かなり汗をかいています。本番までにへばってしまうのではないかと心配です。

暑い夏で思い出すのは、1994年(平成6年)です。県に採用され、初めて宮古に赴任した年なので良く覚えています。盛岡でも、連続真夏日38日とかいう記録を残した年です。扇風機を買うために宮古市内の電器屋を廻りましたが全て売り切れで、仕方なく公舎の水風呂に入ったりしてしのいだ年です。

7月~9月の、盛岡の毎日の最高気温の変化を比較してみました。気象庁の過去の気象データを使わせていただきました(2010年は8月末まで)。

8月末、ここ数日の暑さは、1994年を凌ぐ勢いです。これから、9月にかけて涼しくなってくれるかな。