今回も強かった。
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娘は中学生
今日は、娘の中学入学式でした。
私としては、喜びよりも心配の方が大きいです。お嫁ちゃんがいらぬところで口を出しすぎて、娘は世間を知らなすぎるのではと少し危惧しております。この3年間は、あれは駄目、これは駄目と言わずに、できるだけ見守っていきたいものです。
しかし、次のことには口を出したい。自分の事は棚に上げて言うしかない。
- しっかり勉強しろ。分からないことがあっても時間を掛けて、答えを導き出せ。そのプロセスが大事なのだから。安易に他人に聞くな。そのプロセスを経ているのなら、成果は求めない。
- 英語は、一緒に勉強するべ。
- 危険な行為はやめろ、やめさせろ。臆病であることに胸を張れ。
- 運動しろ。これまで通り、得意な「走ること」は頑張ってくれたまえ。期待している。
- きっかけは何でもよい。いろいろな事に首をつっこめ。遊びの事じゃないぞ。もちろん、友達も巻き込め。大いに巻き込まれろ。それも”積極的”のうち。
- 電話応対、あいさつは教えるから、その通りに石舘家の一員として普通にやれ。
- 自分勝手な行動は慎め。自分のためだけにお金、時間を使うな。人のために、時間を使え。
- 趣味でも、遊びでも、単なる消費者になるな。何らかの生産者になれ。
- 無責任なマスメディアに学ぶな。歴史に学べ。
- 他人の評価を気にするな。
新年度
さあ、今日から新年度です。
今日、新入社員としてスタートをした卒業生諸君の多くは、とても緊張したことでしょう。そんなつぶやきが沢山ありましたから。私もその緊張感を持って、今年度仕事にあたりたいものです。
一年前は、こんなことを言っていました。
>本業の方は、今年、明確な目標が3つあります。
>1つ目は、28勝すること。最悪でも、28勝122敗としたい。
>2つ目は、入賞すること。
>3つ目は、教材用のOSを作ること(無理かな~)。
>プライベートの方では、まず、資格を一つ取りましょう。
>Noと言わず、誰も引き受けない役回りも受けましょう。ただし、UNIONや消防団ではありません。
>息子と共に、スポーツに親しみましょう。
>産業考古学会に入会しましょう(笑)。
本業の一つ目の目標は、24勝でした。厳しい情勢を踏まえれば、自分で良くやったと思います。100%ではありませんが、絶対数で行けば職場No.1ですから(笑)。その自負も、地震で吹っ飛んでしまいましたが。
二つ目、三つ目の目標は達成できませんでした(笑)。振り返れば、一つ目の目標のために奔走した1年でした。大変だった。今年こそ!!
プライベートの方では、フォトマスター検定2級合格しました。今年は、準1級を目指すか。あと、PTA役員でもっと仕事が増えるかもしれません。息子が在学中しか出来ないことなので、他に誰もいなかったら頑張ります。
スポーツ面の目標は、やっぱり矢巾町ロードレース大会親子の部で10位入賞ですね。息子は3年生なのでラストチャンスです。わかりやすい目標です。
今年度の本業の目標がぼやけているので、シーズン開始の再来週までにしっかりと設定したいと思います。
10日間を振り返って(その3)
3月13日(日)
食料の確保のため、マックスバリュに並ぶ。2時間ほど並んで買い物をする。米の確保ができて一安心する。ホーマックに並んだ人の情報から、既に電池は品切れであることを知る。
午後、電気工事会社の人がうろうろしている。家の後ろにある倒れかけた電柱を、引っ張って元に戻すのだという。それ以外にも、電力会社の人がいるので、もう停電から復旧しているのかなとブレーカーを入れたところ、照明が点灯。家族一同喜ぶ。
明るいうちに給湯・暖房機器の動作確認を行う。石油ボイラの動作確認OK。温水暖房機コロナUHBーG1000Hのは、電源を入れても燃焼エラー。パネルを開けて、定油面器リセットボタン(赤色)を押して復旧すると直った。
午後あたりから、SoftBankのサービスが使えるようになる。PTA役員に、祝う会の中止を打診し了解をもらう。
3月14日(月)
出勤し、学生の安否確認、転倒・落下の激しかった職場の復旧作業、年度末の事務作業を粛々と進める。お嫁ちゃんから電話が入り、宮古の実家や叔父さんらは無事であることが確認できたとのこと。家も被害がないとのこと。叔父さんが、携帯電話が繋がる花原市まで車で走って、連絡をくれた。
小学校に「卒業を祝う会」の中止を申し入れる。先生方12人も含め、211人が参加する祝う会だったのに残念。代替手段で、先生に花束・メッセージアルバムを手渡す方法を検討する。
3月15日(火)
出勤し、引き続き復旧作業、年度末の事務作業を粛々と進める。宮古のお義父さんらは無事であることはわかったが、食料が心配になる。無事であっても、それはそれで次々と心配ごとがわき出てくる。
PTA役員の皆さんと相談して、祝う会の会費(一家族あたり1,000円)のうちの食事代(茶菓子)は返金せず、震災被災者への義援金とすることを決める。保護者の皆さんが理解・賛同してくれることを信じ、お知らせ文書をつくる。
3月16日(水)
出勤し、引き続き復旧作業、年度末の事務作業を粛々と進める。
PTA会長さんから電話があり、小学校卒業式後の保護者代表の謝辞は大丈夫かとお気遣いの電話をいただく。何も準備していない。
3月17日(木)
卒業式前日、娘の最後のランドセル姿。このランドセルは、もしかしたら寄付することになるかもしれない。
出勤し、引き続き復旧作業、年度末の事務作業を粛々と進める。
帰宅後、明日の小学校卒業式の後に述べる保護者代表の謝辞の原稿をつくる。この事態なので、冒頭をどのようにすれば良いのか悩む。先生に贈るメッセージアルバムのうち、3組のメッセージが一人足りないことに気づく。慌てて、全てチェックする。足りない一人は、連絡用の袋に入っていた。危なかった。これで結構な時間をロスし夜遅くなったので、眠くなる。謝辞の原稿は翌朝考えることにする。
3月18日(金)
娘の小学校卒業式である。朝5時に起きて、謝辞の原稿の検討・手直し。保護者の皆さんへの義援金の説明、担任の先生に渡す花束、メッセージアルバムを渡す段取りなどもあって、心のゆとりなし。ビデオカメラの充電、メモリカードの空きもチェックでしないまま急いで家を出る。
卒業式の開始前に、震災で犠牲になった方々への黙祷、強い余震があった場合の避難誘導説明等がある。
卒業生の入場で、感動的な式が始まった。大変な1週間であったが、このように予定どおり実施できたのは、本当に幸せなこと。しかし、ビデオカメラのバッテリー切れで、撮影できたのは入場の3分だけ。
卒業証書の授与で、一人一人名前を呼ばれて受け取っていく。皆、立派でりりしい。感慨深いものを感じつつ、まだ固まっていない謝辞の原稿を修正する。校長先生の式辞を聞き、新たに謝辞に加えたいこともあり追記していく。会場は寒く、トイレに行きたくなる。
卒業式は終了、謝辞も何とか終え、記念写真撮影、そして最後のホームルームへ。無事、各クラスの役員さんが子どもたちを通じて担任の先生に花束とメッセージアルバムを渡す。終わった。今年の6学年PTAの仕事が終わった。
昇降口で記念撮影し、学校を後にする。午後は、しばらく休む。
次は、何としてもガソリンを入れることと、宮古のお義父さんらの見舞いだ。
3月19日(土)
普段、自家用車を使わない生活なので、この状況下でどのガソリンスタンドに行けば確実に給油できるのかよく分からない。偵察のため、自転車で、流通センター方面からガソリンスタンド巡りをする。
流通商事さんのGSに車の行列があるが、ガソリンスタンドでは「この連休(19日〜21日)は無理です。」との説明。
北に進むと羽場から盛岡南ICを通じて友愛病院のESSOまで、行列が出来ている。これは凄い。でも、給油できている様子なので、まず第一候補にする。津志田のマックスバリュで、宮古に持って行く食料を調達する。米10kgをリュックに入れたのは大失敗。この後、4号線を南下して矢巾に戻るのだが腰と尻がかなり痛い。自転車のかごに入れるべきだった。
ホーマック都南店の近く、ユニクロ向かいのガソリンスタンドも営業中で、4号線にこれまたすごい行列が出来ている。見前のジョイス辺りまで並んでいたか。
この日、営業していたのを確認できたのは2店だけだった。米10kgを背負って、都南一周してぐったり。早めに就寝して、翌朝のガソリンスタンド並びに備えた。
この後は、3月21日の日記に続く。
10日間を振り返って(その2)
3月11日 地震後
屋外には、卒業式後、帰宅しようとしている学生や親子が沢山いる。帰りの支度ができた者から、少しずつ帰宅していく。学生の安否確認や被害状況の集約のため、皆、事務室に詰める。JRが止まり、どうやって帰ろうか思案中の学生や職員。遠方のため帰れない学生や親は、緊急的に学生寮に宿泊することになる。
ラジオから、沿岸各地に津波が来て被害が出ていることが続々と報告される。沿岸に家族がいる職員らも疲れ切った表情。私もお嫁ちゃんの実家のことがたまらなく心配になる。
道路は、停電による信号停止による渋滞が始まってくる。たびたび来る余震に、みな警戒し、時折屋外に避難しようとする。雪が降ってくる。
停電のまま17時を過ぎ、暗くなってくる。電話もなかなか通じず、出来ることが限られてくる。たまたま、お嫁ちゃんと電話が通じて、家の被害は無いこと、早く帰ってきて欲しいことを伝えられる。また職場に戻ってくることにして、一時的に帰宅する。
帰り道、線路をくぐる地下道を通ろうとしたが、浸水して利用できず。その場で、若者が、落とした携帯電話をノートパソコンのディスプレイの明かりを使って探している。確か、見つかったはず。「気をつけてください。」とお互い声を掛け合って分かれる。こういう時は、知らない者同士でもこんな気遣いができるのだ。矢幅駅通路も真っ暗だったが、目をこらして何とか通り抜ける。
3月11日 帰宅後
家族3人が、スキーウェアなどを着てリビングに待機している。乾電池式のランタンを明かりにして、テーブルに家族が揃う。ブレーカーを下げる。
余震が来るたびに、「お家が壊れる。」「これからどうなるの」とボロボロ泣き出す子供たちに、大丈夫と言い聞かせる。
地震後、コンビニで幾つかのカップラーメンは調達できた。週末の買い物の前のため、やや食材が不足し、米も残り少ない。断水ではないようだが、念のため風呂や鍋・やかんに水を張っておく。娘の林間学校用に買ったヘッドライトが本当に重宝する。
ラジオで、沿岸の被害状況をきく。津軽石地区も被害が甚大、宮古市役所が孤立、マースの上の階に避難者が居るとの情報に、ますますお嫁ちゃんの実家が気になる。家が巨大な波におそわれるのを想像してしまう。ちゃんと逃げられたのか、気になって仕方がない。「甚大」というこれまであまり使われなかった言葉が何度も繰り返され、事態の深刻さに憂鬱になる。
夜8時頃、八幡平市の実家に電話するも呼び出し音は鳴るのに誰もでない。その地域の被害状況は全くニュースになっておらず、あの激しい揺れに、家が倒壊したかあるいはタンスなどの下敷きになって動けないか、どこかに避難したのか、いろいろ想像する。とりあえず安否確認のメールを送る。
子供たちは、それぞれ大事なものをリュックに入れてそれを車に積み込み、いつでも逃げられるようにしていた。息子は、数日前に買ってあげたラジコンも車に積んでいた。今考えれば、その後どうしようとしていたのか謎。
一度、職場に戻り、再び21時頃自宅に帰る。途中、コンビニが営業していたので寄ってみる。ご苦労さまです。ラーメン、そば、うどん類はなく、辛うじて米1kgがあったので買っておく。
家族みな食欲がなく、何も食べずに寝ることにする。とにかく余震が怖いので、キャンプの寝袋を出して皆1階に一緒に寝る。この時点で、私としては1週間の停電・食料供給ストップを想定していた。
3月12日(土)
朝、5時頃起きる。天気が良いのが救い。食料品を調達できるかどうか偵察するため、6時頃、街に徒歩で出かける。途中、ご近所の藤原さんと会う。その時間帯では、食料の調達は当然無理だった。南矢幅12地割付近で道路の陥没が多数あり。陥没にはまり、動けなくなって放置されている自動車も。携帯電話は繋がらないこと、バッテリーの節約のため電源をオフにしていたが、オンにしたところ八幡平市の親からメールが届く。メール打ちが不慣れなせいだと思うが、「だいじょうぶだ4」とふざけた文面。しかし、安堵する。
帰宅し、前日に食べなかった昼の弁当を食べる。前日に職場で「卒業を祝う会」があって会食があり、弁当は食べなかったのである。その予定をお嫁ちゃんに伝えていなかったので余計な弁当を作らせてしまったのだが食料不足には少しだけ幸いした。
その日、問い合わせ対応、職場の点検等のため出勤する。出勤途中、コンビニが開いたので、とりあえずお菓子を沢山買い込む。
学生寮の様子を見に行くと、男子学生は談話室に集まり、女子学生は管理人さんの部屋に集まり、一夜を明かしたとのこと。食料はかき集めて何とかなっており、ブレッドボードを使って、乾電池式の携帯充電器を自作している電子技術科の学生もいて、雰囲気は明るく、少し安堵する。
大船渡職業能力開発センターの職員の家族から、職員の安否確認の問い合わせ電話を受ける。県庁でも現地と連絡が取れない状況であったが、その日のうちに無事であることが確認される。うれしかった。
午前までは通じていた職場の固定電話が、午後は不通になる。
ラジオで、盛岡市内丸付近で停電から復旧のニュースが流れる。想像していたよりも早い復旧で希望が沸いてくる。
陥没した道路の復旧作業で現場監督をしているPTA学年委員の佐々木さんとばったり会う。この事態なので、小学校の「卒業を祝う会」の中止を打診する。その方向で進めることにする。
同僚の職員の話によると、矢巾のマックスバリュは開店しているものの、5時間待ちでやっと買い物が出来たとのこと。余震が心配されるなか、お嫁ちゃんも子供を置いて出かけられまい。自分の生活が心配になる。
食事を抑えていたので、昼のカップラーメンに息子が感激したらしい。それまで、カップラーメンは好きではなかったのに、その日は「おいしい!」と大喜び。
太陽光発電の隣家の方で、炊飯器でご飯を炊いてもらう。
我が家では、この日も宮古(実家、叔父さん宅)や仙台(お嫁ちゃんの姉夫婦)と全く連絡がとれず。
夜は、ランタンやヘッドライトの電池の節約のため、6時に就寝。余震も何とか大丈夫だろうということで、自分たちの部屋に寝ることに。
夜、トイレに起きた時に、外の様子を見ると田園ホールの音符のマークが光っている(後から聞くと、この日の夜に既に通電していたらしい)。

