PTA総会

4月19日(土)は煙山小学校PTA総会でした。春の珍事と言いますか、会員数465名に対して委任状122名+本人出席356名の出席で合計478名!もちろん、名簿でダブルカウントしてしまったせいだとは思いますが、悪くない新年度のスタートを切ることが出来ました(笑)。

多数の会員が参加するこれまでの総会で、時間の制約もあって意見を言いづらいこともあろうかと思っていました。意見が全く無いのもちょっと恐いので、PTA活動の点検のために、冬に「PTAの活動に関するアンケート調査」を行いました。

その”まとめ”(意見とPTAからの回答)を総会資料につけ、会長挨拶の中で若干の補足説明をいたしました。建設的な意見、励ましの意見が多く私としては内心ホッといたしました。しかし、やはりお忙しい仕事や地区子ども会活動とPTA活動の両立も困難という意見もあり、PTA活動の負担軽減に関して26年度に検討することにしています。

昨年度は、父親のPTA行事への参加を促すために、全体レクリエーションを企画・実施しました。新たな「おやじ」の協力者にも恵まれ、勇気づけられました。

また、PTA活動の情報共有として、個人的ながらもウェブサイトを立ち上げ活用を図ろうとしました。全体レクの案内と共に会員に紹介しましたが、はっきり言って、こちらは見事な空振りでした(笑)。でも、全国からパラパラとアクセスがあるので(特にレクの内容とか)日本のどこかで役に立っている可能性はあります。まあ、そんなものでしょう。

そして、26年度も引き続き会長職を務めさせて頂くことの承認を頂きました。息子も6年生で、最後の一年です。学校現場、そしてPTA活動の良き理解者を一人でも多く増やすことを意識して出来ることをやっていきます。

他人操作は労多くして、益少なし。空振り覚悟、笑うなら笑え。「話せば三流、企画は二流、手間暇かけるのは一流」で取り組んで行きます!!

PTA送別会

3月26日(水)、煙小のPTA送別会を終えた私は、Aさんと二人で、隣の会場で行なわれている北中のPTA送別会の終了を待っていました。正直に言えば、2次会仲間を待っていたのですが(笑)。

小学校の送別会が重なったことで、中学校の送別会出席は諦めていましたが、終わる気配のない北中P送別会。これはチャンス。

「行きますか!」

A さんと共に会場に入り、転出される3年生の先生方に御礼を申し上げることができて良かった。。。

担任の先生には娘の2年生の時の事件で救って頂きました。娘に特別デッサン指導を頂き高校の推薦試験合格に導いて下さった先生、1年次の担任の先生、最高の学年通信を発行し続けてくれた先生、おやじの会でいつもご一緒させて頂いた副校長先生。。。本当にありがとうございました。

と、御礼を申し上げたつもりでしたが、娘の話題になると、私の知らない娘の様子を聞かされ、かえって親の方が励まされる送別会でした。幹事のPTA役員の方、素晴らしい送別会をありがとうございました。

私は、北中の送別会に参加申込みもしておらず、会費も払っておりません!そのため、飲み物には一切口をつけておりませんので突然の参加をお許しください。

卒業式

今日、3月19日(水)は煙山小学校の卒業式でした。今年の卒業生は103名、晴天の良き日でした。

卒業生の皆さんは、黄色い帽子に大きなランドセル姿で入学した六年前はきっと小さくて可愛らしかったでしょう。

卒業証書を受け取る皆さんの姿、りりしい表情を見て、本当に、立派に成長されたのだなと強く感じました。皆さんは、この六年間で多くのことを学んだことでしょう。

私が知っている皆さんの姿は、選手として、進行係として駆け回り運動会を大成功に導いたこと、学習発表会での熱演、伝統のマーチングや、さんさを受け継ぎ、さらに下級生に引き継いだことなど、あらゆる場面で上級生としての役割をしっかりとこなしていたことを思い出します。

これらの活躍の裏には、きっと、先生の指導のもと、何度も繰り返した練習があったのでしょう。なかなか大変でしたね。しかし、勉強でも何でも、物事をうまく進めるには、やはり準備や練習をしっかり行うことが一番大切です。皆さんにはその力がすでに備わっています。

中学校に進学すれば、スポーツや文化活動、検定試験など活躍のチャンスがどんどん巡ってきます。自信を持って、失敗を恐れずに新しいことに挑戦してください。もちろん、準備も怠らないでください。

このような言葉も紹介しておきます。誤解はしないでください。

「失敗しない一番の方法は、何もしないことである。」

賢い皆さんには、この言葉の意味がわかると思います。大きな夢を持ち、挑戦を続け、矢巾町や岩手、日本、世界を支える人を目指してください。応援しています。

大川小学校事故検証報告書

大川小学校事故検証報告書の最終版が大川小学校事故検証委員会HPに掲載されました。

地震発生から避難開始までの50分間も、先生方は何故もたもたしていたのか。空白の50分を明らかにせよと委員会は責めらたようです。そう責められるほど、大川小学校の組織・行動がいけなかったのでしょうか。

以下は、私が検証報告書(3.2 事故当日の状況に関する情報、P.87付近)から読み取った内容です。

石巻市立の小中学校のうち、被災したした学校は24校である。当日、避難を実施したのは児童・生徒が学内いた20校であった。20校のうち、15時30分頃(地震の揺れ始め14時46分から45分程度経過)に学内(ほとんどが校庭)に児童生徒がいた学校は19校であった。空白の50分間とは、大川小学校に限る話ではない。

校舎が水没するなど大川小学校と同程度の浸水があったのに、児童の被害が無かった5校、そのうち速やかに避難を行ったのは門脇小学校1校のみであった。

その他の4校は、(1)海が見えるところまで見に行き、津波を確認した職員の進言、(2)消防団員による津波の監視、(3)ラジオ・防災無線による情報入手、(4)子どもを引き取りに来た保護者の強い進言等により15時30分以降に避難行動を開始している。

大川小学校は15時33分〜34分頃に避難を決定しており、その他の学校と時間に大差はない(しかし、これが大災害に繋がってしまった)。

その他の4校は、海からの距離が75メートルから300メートル程度である。大川小は3.6kmとなっているが、単純な海からの距離で言えば、当日避難した学校20校のうち、最も海から遠い。

以下は、私の憶測になってしまいますが、ほとんどの学校が、警報や監視によって津波の到達がほぼ確実となった時点で避難を開始していることから、15時30分頃までは津波よりも地震の揺れ(余震)の脅威が判断基準になり、校庭に待機していたのではないでしょうか。

http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail20110311144600.html
http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20110311150600.html
http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20110311151500.html
http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20110311152600.html

あの日は、地球がどうにかなってしまったのではないかという程の激しく執拗な揺れでした。特に宮城県は震度7を観測した最も震源に近い位置であり、裏山や校舎の屋上に避難することは、地震の揺れへの対応としては(ある意味)非常識で行動に移しづらい危険な行為に思われたのでは?

津波を予想して即避難を実行できなかった石巻市立の各学校の判断は止むを得なかったものと思っています。

遺族の皆さんの悲しみや怒りの様子に深く心を痛めております。しかし、マスコミ等が中心になって、生き残った先生、当日不在だった校長、子ども達と共に亡くなった先生方の非を認めさせようとする空気に違和感を感じるところもあります。

特に、亡くなった先生方の、自らの判断によって子ども達を守れなかった無念さを想像すると、その違和感はより強いものになっています。

卒業式・入学式

3月は娘の中学卒業式、我が職場の卒業式、PTA会長として祝辞を述べる小学校の卒業式があります。4月は、娘の高校入学式、我が職場の入学式、同じくPTA会長として祝辞を述べるであろう小学校の入学式があります。式典は合計6回!

心のなかの”大きなイベント”順に並べると以下のとおりです。H6〜H1のタグを使っています。

娘の中学校卒業式

小学校卒業式

娘の高校入学式

小学校入学式

職場の入学式
職場の卒業式

関係者の皆様、大変申し訳ございません。