地球温暖化論への挑戦

めっきりと読書量が減っているこの頃ですが、都南図書館から「地球温暖化論への挑戦」という本を借りて、さっき読み終えました。

専門家ではない著者だけに相当な数の報告書や論文や引用して、地球温暖化に関する諸説をとてもわかりやすく解説しています。地球温暖化の主犯は、現代社会が大量に排出する二酸化炭素という説が何の疑いもなく信じられています。しかし、引用されている科学達の主張が本当にバラエティに富んでおり、単純な図式になっていないことが良くわかります。これらの主張に対して一つ一つ科学的根拠をもって反論できないと、「温室効果による地球温暖化」は嘘になってしまいそうです。

印象に残っており、勉強になったことや、誰かに教えたいなと思ったことをメモしておきます。

(1)いつでも未来は残酷(予言機械)

(2)コンピュータによる数理シミュレーションは本当か?
(地球の完全コピーは困難、諫早湾の干拓)

(3)70年代は「地球寒冷化」が問題になっていた。ある地域の干ばつが、70年代は寒冷化が原因と分析されているのに、今は温暖化が原因と分析されている。

(4)平均気温の上昇(年代別の比較)は、地球平均気温がそもそも正確に測定できているかどうか怪しい。

(5)異常気象は増えていない。被害が大きいのは発展途上国、それはかつての日本(伊勢湾台風とか)と同じインフラ未整備や、危険なところに住まざるを得ない状況も原因があること。

(6)地球はかつては温暖で(グリーンランドとの交易記録)、有史以来(といっても紀元後)最も寒い時期と比較して「温暖化」と言っている。

(7)温暖化で南極の氷は増え、寒冷化すると雪が降らないので南極の氷は減る。南極の氷は融けるのは当たり前だし、そうでないと増える一方である。そもそも増減は微小であることは多くの専門家が認めること。

(8)北極の氷が融けて何が悪い。寒冷化の時代は、氷による被害に悩まされたではないか。

(9)太陽活動と地磁気の変化が、毎年の気温変化に大きな影響を与えているらしい。

(10)二酸化炭素による熱の吸収は既に飽和している(いま以上キャッチできない)との説がある。

(11)温度が高くなると二酸化炭素が増加するという統計データがある。最も二酸化炭素を吸収する海が温まれば、ビールの気が抜けるのと同じで吸収できなくなる。

(12)植物の光合成工場は、原料の二酸化炭素不足のため稼働率が低い。今より5倍はいける。

(13)成人式のクラッカーと、大臣へのパイ投げ。パイ投げはなぜ批判されないのか。

(14)禁止より脅迫は悪であること。

(15)人類の未来が危ないと言っておきながら、世間の軽さはいったい何なのか(笑)。

これだけ並べられると、行政を筆頭とする地球温暖化防止キャンペーンを、ちゃんと聞くのがあほらしくなってきそうです。マスコミをはじめとして不安を煽ることで商売繁盛する業界もあるし、理由づけが簡単にできるようになるんですよね。やっぱり、必要以上に踊らされ、過剰反応するのも良くないなと感じました。

でも省エネ、節約はやっぱり美徳ですから、できる範囲のことはやっていかないといけません。この「できる範囲」って言うのが便利な言葉ですけど(笑)。

無題

きっかけはわかりませんが、仕事が終わったあとにジュースを買ってもらうという約束を母親としていたらしく、黙々と家の周りの草取りをしてくれた息子でした。途中で「もう嫌だ!」とも言わずに、すべてきれいに取り去ってくれました。

次回は山形県にしよう

裏磐梯を出発したのは、14時40分頃です。帰り道は、桧原湖畔を通って北上し、山形県米沢市に抜けます。これは、やはり12年前の帰り道。

南陽市に入ると、山一面にあるぶどう畑のビニールシートが見えます。懐かしい風景に、この辺りのファミリーレストランで食事をしたこと、中古本屋で本を買ったことを思い出します。買ったのは確か「陸軍入門」!!。ファミレスは営業していましたが、その隣の中古本屋さんはなくなっていました。

上山市に入ると、田園風景の中にそびえ立つ高層マンションが!!これはかなり目立っており、異様な雰囲気さえ感じられます。別のサイトの情報によると41階もあるらしいです。

ということで、山形上山IC~紫波ICを通って、21時に自宅に着きました。子供たちもくたくたでしたが、おかしかったのは「また、(あの公園の)すべり台で遊びたい。。。」という息子の言葉。彼は、行きで立ち寄った長者原SAの公園で遊んだのが楽しかったらしいのです(爆)。

裏磐梯

静かな夜に慣れきっている私にとって、キャンプ場の夜はちょっと大変でした。キャンプ場は、R49沿いにあるために車の音が気になったのです。子供たちは、うるさいとも言わず寝ていたので、気にしていたのは大人たちだけかもしれません。

そして、寒くて何度も目が覚めました。千円ちょいの安物シュラフでは厳しい条件でした(笑)。この日の猪苗代の朝の最低気温は7.6度で、10月中旬並みの寒さだったようですが、秋の限界が分かったような気がします。子供たちはコールマンのシュラフで、息子は最初こそ汗ばむぐらいでしたが、冷え込んでくると、寒いということでパーカーを着て、すっぽりとフードをかぶりました。娘はほかほかで大丈夫だったらしいです。

さて、2日目は、裏磐梯の五色沼へ出発します。涼しくて、晴れ渡ってとても良い天気です。

12年前の記憶に頼って行動したこと、渋滞の駐車場のを避けようとしたことが仇となり、五色沼散策までのちょっと時間がかかってしまいました。首都圏ナンバーの車だらけでしたが、皆に倣って、じっと待つべきでした。

やっと遊歩道を歩き始めました。せっかく五色沼を背景に家族の写真を撮ろうと思っていたのに、子供たちは元気があり過ぎてサクサクと前に進み、お嫁ちゃんはそれを見失わないように追いかけるので、私だけ取り残されてしまいました。

猪苗代

ずっと忙しかったので、シルバーウィークの計画は全くたてていませんでした。しかし、5日間も家に居れば親子・兄妹・夫婦ともに必ずけんかをしてしまうと思ったこと、実はキャンプに行こうと前から心に決めていたことから、初日である19日(土)の午後に、キャンプに行くことを決断しました。そして、資金をどこから捻出すれば良いのかと悩み、全く乗り気でないお嫁ちゃん、キャンプと聞いて喜んでいる息子、「キャンプに行くのね」と冷静に受け止めている娘を横に、行先の検討を始めました。せっかくETCをつけたのだから、時間と私の気力が許す限り、どこにでも行けます。

決めたのが猪苗代湖畔と裏磐梯、私とお嫁ちゃんは12年ぶりに行くところです。湖での遊びにはあまり興味がないので、五色沼散策をメインに、野口英世記念館を訪れることを目当てにしていました。

さて、キャンプ場をどうするか。まずは、桧原湖周辺のキャンプ場を電話であたったところ、バンガローだけが空いているところもあれば、当日受付でも大丈夫というところもあり、まず大丈夫だろうと。しかし、よくよく考えてみると桧原湖周辺は海抜800Mぐらいで、ちょっと寒いのではないかということになり、現地に行ってから猪苗代湖畔のキャンプ場に電話しまくって決めることにしました(笑)。

紫波ICから猪苗代磐梯高原ICまで走り、R49に入ってから電話、そして、見つけたのが大野原インフラワービレッジです。現地についたときのお嫁ちゃんは、明らかに元気がなく、失望していました(笑)。陸前高田のモビリアしか経験のない我が家でしたから仕方がありません。そもそもキャンプ場とは、これが普通なのですよ。

今回は、タープは広げないでテントのみを設営し、最初の目的地である野口英世記念館に向かいました。

子供たち、特に娘には、野口英世氏の生い立ちや偉業に感心を持ってほしかったのですが、はずしてしまったようです。唯一喜んでもらえたのが野口英世氏のロボットとは。。。

戻ってから、夕食の支度です。過去2回のキャンプではBBQでしたが、今回は時間があまりないと思ったので、カレーにしました。まだ、余裕がないらしく、作り始めてから~食べるまでの写真を撮り忘れていました。19時には全て片付けて、19時半頃には全員テントに入りました。