宮古へ(続き)

津軽石には、宮古市に入って花輪橋を渡り、松山にある宮古中央ICから三陸自動車道を使いました。宮古はそれほど揺れは激しくなかったと聞いていますが、自動車道はところどころ大きな段差ができていました。

そして、宮古南ICから金浜の国道45号線に降ります。本来であれば美しい海の景色が広がるインターチェンジです。しかし、今回のそれは、信じられない凄惨な別世界となっていました。

どうか皆、避難しておりますように。

ディーラーの看板の汚れから、波の高さが分かりました。三陸道の結構上の方まで瓦礫が流されていました。

マースとその隣のファミリーマートです。助かった方々がいたのが救いです。

JR山田線の線路も引き剥がす。海側に落ちているので引き波の力でしょう。

津軽石までの国道の両脇には、流されてひっくり返った軽トラックや瓦礫などがあります。土ぼこりが舞い、自衛隊の装甲車みたいなもの(キャタピラ式)も走って、まるで戦後のような雰囲気です。

お義父さん宅、避難中お世話になった親戚宅にも寄って荷物を下ろし、暗くなる前に帰ることにしました。

過去の三陸大津波、関東大震災、阪神大震災など、街は必ず復興してきました。今回の震災も必ず復興するはずです。いや、復興させなければいけません。しかし、これだけの被害を目の当たりにすると、いったいどこから手をつけて良いのか、どのような街づくりを目指せば良いのか。

被災された方々の生活が一日も早く取り返せるよう、美しい三陸が一日も早く戻るよう、私たちもこれまでの生活を見直していかなければならないと思います。

宮古へ

今回の大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された方、そのご家族・関係者の方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。

あの大地震から一週間以上たちました。気が滅入る毎日です。

記録に残しておきたいことは沢山ありますが、まずは今日のはなし。

ガソリンがちょっと足りなくて、お嫁ちゃんの実家である宮古市津軽石に行けませんでした。今日、盛岡南ICの近く、友愛病院隣のessoに朝5時から並び、7時間待って12時頃に2,000円分給油できました。

「ご苦労さまです。助かります。」

思わず、声が出ました。本当にそう思いました。

これでGOサインです。

そして、ここ数日、自転車で買い集めた食料を積んで宮古に行ってきました。

国道106号線は、自衛隊の車両がばんばん通っています。川井の道の駅では、自衛隊の皆さんもしばらくの休憩。。大変ご苦労さまです。

お義父さん、お義母さんが居る実家は被害がなく無事であることは、お嫁ちゃんの叔父さんから3月14日に電話があって知っていましたが、食料や灯油が心配でした。

電気・ガス・水道はOK、灯油も大丈夫、食料がちょっと足りなかったようですが元気そうで安心しました。食料は一週間分は用意できたので、これからも大丈夫でしょう。

これでひと区切りついたと思うのですが、道中で見た宮古の惨状が頭に残り、気分がすぐれません。これからどう復興していくのか。山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田。。。。

〔追記〕

宮古から盛岡に帰ってきて驚きました。19時頃だと思うのですが、翌朝に向けて、essoに車の待ち行列が!!盛岡南ICの西までずっと続いていたと思います。一日遅れていたら給油できなかったかも。

手抜きはやめた

うちの子たちは誕生日が近いので、合理的に誕生パーティをやろうと、二人の誕生日の中間あたりの日にケーキを買うようにお嫁ちゃんに頼んでいました。

そして、一緒にケーキ屋を取りに行ったら、あれれ?2つも買っているではないですかっ!!

誕生パーティを手抜きしようとしていたのですが、それではいけないとお嫁ちゃんにたしなめられました。

それにしても忙しい。卒業を祝う会で上映するスライドショーの写真を募集したのは良いのですが、枚数が150枚位になってしまいました。想定を上回る数で、ちょっと困っていました。全部使うって言っちゃったしなぁ。。。偏りもあるし。。。編集どうしよう。。。