右上腕骨内上顆骨折

10月25日、息子が友達と腕相撲をして、力が入りすぎて右肘の骨をゴリッとやってしまったようです。日赤病院で26日手術、27日退院。

自損事故だと思っているのですが、友達とそのご家族に余計な気遣いをさせてしまい申し訳なく思っています。

中学校から緊急の電話連絡を受けて迎えに行ったところ、先生方5人もが、息子を見守って下さっていました。本当にありがとうございます。そして大変、お騒がせしました。

そして、部活の引退後に復活していたテニスのレッスンも、3ヶ月程休むことになりました。再開する頃には受験ですから(汗)

勉強の方は、利き腕がギプスで固定されて字を書くのも苦労していますが、ゆっくり書くしかないので、かえって字が上手になっています(爆)。

この災いを生かして、勉強に専念してもらいましょう。

子ども会安全啓発中級指導者養成講習会

10月21日(土)、22日(日)に盛岡で開催された、東北地区子ども会育成連絡協議会主催の「子ども会安全啓発中級指導者養成講習会」に参加しました。無事修了し、後日、認定証が交付される予定です。

この講習会は、「子ども会安全啓発講習会」を講師として担当し、安全啓発活動ができる「子ども会安全啓発初級指導者」を養成する中級指導者を養成するためのもので、公益社団法人全国子ども会連合会が修了認定するものです。

講習内容は、安全教育の意義と必要性、労働災害から学ぶ経験則・対策、KYT(危険予知訓練)の進め方、スポーツの怪我防止、防災等、多岐に渡るもので、グループ討議中心で、子ども会活動における安全意識の高揚を図るためのポイントの多くを学びました。

子ども会の安全啓発が生まれた背景として、「津市四ツ葉子ども会事故」の教訓があるとのこと。引率する子ども会育成会役員(指導者・保護者)の刑事責任が問われ、民事訴訟を起こされたこの事件は、ボランティア活動であっても注意義務違反という過失が科せられるとの判断(一審では過失有とされ、二審では無罪)があったこと、損害賠償の対象になるという判例ができた大きな事件だったそうです。初級者講習では、この事件から得られる教訓をしっかり伝えて欲しいことを強調されました。

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以下、私の感想。

安全啓発の基本は、子ども会活動に参加する誰も(子ども、保護者)が安全意識を高く持ち続けることだということを、改めて確認しました。子どもを不慮の事故から守る一番の方法は「何もさせないこと」。これは事実だと思いますが、健全な育成という観点から見れば誤りであり、最大限、安全に配慮しつつ、子ども達の経験の場を少しでも多く確保していきたいと思いました。

「子ども会の運営は、子どもたちの手で」

全国子ども会連合会が提唱する理念ですが、現実は厳しいです。しかし、大人主導の運営であっても、何もやらないよりは遥かに良いし、子ども達にとっても何らかの学びがあるのではないでしょうか。

リーダー研修会

9月16日(土)、17日(日)の2日間、国立岩手山青少年交流の家で行われた矢巾町子ども会育成会連合会主催の「子ども会リーダー研修会」にスタッフとして参加しました。この研修会は、子ども会リーダーとしての役割を学び自覚を持つこと、宿泊学習、集団生活を通じて協力し合うこと等を目的として毎年開催されています。

今年も次年度のリーダーとなる5年生約60名が参加し、10班編成で、様々なグループワークを通じて、協調性、集団行動の規律、養いました。矢巾町ジュニアリーダー(スパイダー)の皆さん、室さんで、楽しく、時には厳しく指導を頂き充実した2日間を過ごしたことと思います。参加者は初めて会う他小学校の子供たちともすぐに打ち解け、竹ひごタワーや野外ウォークラリー等でチームワークの良さを発揮していました。2日目には、研修プログラムのスケジュールを意識した行動がしっかり出来るようになっており、研修の成果を感じました。

少し残念だったのは、ある子が良い意見があってもそれをが埋もれてしまうなど、話し合い、課題の進め方にもう少し落ち着きがあれば良いかなとは思いました。でも5年生なら仕方がないかもしれません。我が息子も数年前、、5年生の頃にこの研修会に参加しました。うるさかったでしょうね。

今年度は、ある班の世話役になって、すべての食事を子ども達と一緒にとりました。例年、食べ過ぎで研修に支障が出るケースもあるとのことで、次々とお替りをする男の子達にヒヤヒヤしましたが、一方で、食が細い女の子達の中にあっても、小さい体なのにガンガンお替りする強者も。痩せの大食い素晴らしい!

そして、カフェテリア方式の岩手山青少年交流の家の食事が美味し過ぎます。

戦争ドキュメンタリー(3)

樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇(8月14日放送)

玉音放送の後でも、ソ連と戦った樺太(サハリン)の日本陸軍師団と巻き添えになった民間人の記録ドキュメンタリー。私の母が、樺太で生まれているので興味深く視聴した。

停戦後であっても、ソ連の侵攻を食い止めるべしの大本営命令を受けて戦った現地師団は、武器弾薬が乏しい中、民間人の少年なども兵士として養成、投入した。満州、朝鮮半島、そして樺太を大国との緩衝地帯として、明治以来、ロシアそして後のソ連の南下政策に必死に抗ってきた日本としては、この地を譲ることができなかったのだろう。当時を振り返る老女の「露助」という表現は、当時の常識だったであろうソ連に対する憎しみと軽蔑を如実に表していた。

ルーズベルトの死去という幸運もあって、北海道の一部占領は免れた。長年のロシア・ソ連の侵略をしのぎ今の日本の繁栄があり、米ソの代理戦争であった朝鮮戦争が後を引く現在の北朝鮮情勢があることを思えば、あの戦争は過ちだったとは言い切れない。