SONY VAIO VGN-FZ52Bの無線LAN有効化

 

admin@sony:/home/admin# lspci
     :
06:00.0 Network controller: Intel Corporation PRO/Wireless 4965 AG or AGN [Kedron] Network Connection (rev 61)
     :
admin@sony:/home/admin# cat /etc/apt/sources.list
     :
deb http://http.debian.net/debian/ wheezy main contrib non-free
admin@sony:/home/admin# apt-get update
admin@sony:/home/admin# apt-get install firmware-iwlwifi
admin@sony:/home/admin# modprobe -r iwl4965
admin@sony:/home/admin# modprobe iwl4965

SONYのVAIO VGN-FZ52BにDebian Linux 7.4をインストールしました。無線LANの有効化についてインストール時にFirmwareが必要と言われるのですが、状況が良く解りませんでした。

そこで、とりあえず有線LANで繋いだ状態でインストールを終わらせ、無線LANのコントローラーをlspciで調べ、その型番でネット検索して、やり方を見つけました。

https://wiki.debian.org/iwlegacy

手順は以下のとおりです。

 

admin@sony:/home/admin# cat /etc/udev/rules.d/70-persistent-net.rules 
# This file was automatically generated by the /lib/udev/write_net_rules
# program, run by the persistent-net-generator.rules rules file.
#
# You can modify it, as long as you keep each rule on a single
# line, and change only the value of the NAME= key.
 
# PCI device 0x11ab:/sys/devices/pci0000:00/0000:00:1c.4/0000:08:00.0 (sky2)
SUBSYSTEM=="net", ACTION=="add", DRIVERS=="?*", ATTR{address}=="00:1a:80:**:**:**", ATTR{dev_id}=="0x0", ATTR{type}=="1", KERNEL=="eth*", NAME="eth0"
 
# PCI device 0x8086:/sys/devices/pci0000:00/0000:00:1c.2/0000:06:00.0 (iwl4965)
SUBSYSTEM=="net", ACTION=="add", DRIVERS=="?*", ATTR{address}=="00:13:e8:**:**:**", ATTR{dev_id}=="0x0", ATTR{type}=="1", KERNEL=="wlan*", NAME="wlan0"

なぜ、モジュールを1度だけ手動でロードすれば、そのあと自由に使えるようになるのか良く解りません!

UDEV関連の設定ファイルには、認識するハードウェアの情報は追加されていました。

大川小学校事故検証報告書

大川小学校事故検証報告書の最終版が大川小学校事故検証委員会HPに掲載されました。

地震発生から避難開始までの50分間も、先生方は何故もたもたしていたのか。空白の50分を明らかにせよと委員会は責めらたようです。そう責められるほど、大川小学校の組織・行動がいけなかったのでしょうか。

以下は、私が検証報告書(3.2 事故当日の状況に関する情報、P.87付近)から読み取った内容です。

石巻市立の小中学校のうち、被災したした学校は24校である。当日、避難を実施したのは児童・生徒が学内いた20校であった。20校のうち、15時30分頃(地震の揺れ始め14時46分から45分程度経過)に学内(ほとんどが校庭)に児童生徒がいた学校は19校であった。空白の50分間とは、大川小学校に限る話ではない。

校舎が水没するなど大川小学校と同程度の浸水があったのに、児童の被害が無かった5校、そのうち速やかに避難を行ったのは門脇小学校1校のみであった。

その他の4校は、(1)海が見えるところまで見に行き、津波を確認した職員の進言、(2)消防団員による津波の監視、(3)ラジオ・防災無線による情報入手、(4)子どもを引き取りに来た保護者の強い進言等により15時30分以降に避難行動を開始している。

大川小学校は15時33分〜34分頃に避難を決定しており、その他の学校と時間に大差はない(しかし、これが大災害に繋がってしまった)。

その他の4校は、海からの距離が75メートルから300メートル程度である。大川小は3.6kmとなっているが、単純な海からの距離で言えば、当日避難した学校20校のうち、最も海から遠い。

以下は、私の憶測になってしまいますが、ほとんどの学校が、警報や監視によって津波の到達がほぼ確実となった時点で避難を開始していることから、15時30分頃までは津波よりも地震の揺れ(余震)の脅威が判断基準になり、校庭に待機していたのではないでしょうか。

http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail20110311144600.html
http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20110311150600.html
http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20110311151500.html
http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20110311152600.html

あの日は、地球がどうにかなってしまったのではないかという程の激しく執拗な揺れでした。特に宮城県は震度7を観測した最も震源に近い位置であり、裏山や校舎の屋上に避難することは、地震の揺れへの対応としては(ある意味)非常識で行動に移しづらい危険な行為に思われたのでは?

津波を予想して即避難を実行できなかった石巻市立の各学校の判断は止むを得なかったものと思っています。

遺族の皆さんの悲しみや怒りの様子に深く心を痛めております。しかし、マスコミ等が中心になって、生き残った先生、当日不在だった校長、子ども達と共に亡くなった先生方の非を認めさせようとする空気に違和感を感じるところもあります。

特に、亡くなった先生方の、自らの判断によって子ども達を守れなかった無念さを想像すると、その違和感はより強いものになっています。

卒業式・入学式

3月は娘の中学卒業式、我が職場の卒業式、PTA会長として祝辞を述べる小学校の卒業式があります。4月は、娘の高校入学式、我が職場の入学式、同じくPTA会長として祝辞を述べるであろう小学校の入学式があります。式典は合計6回!

心のなかの”大きなイベント”順に並べると以下のとおりです。H6〜H1のタグを使っています。

娘の中学校卒業式

小学校卒業式

娘の高校入学式

小学校入学式

職場の入学式
職場の卒業式

関係者の皆様、大変申し訳ございません。

「仕方がない」ことがある

子ども達が山に逃げようと訴えていたにもかかわらず、なぜ、山に逃げなかったのか。

現地を見ることで、その疑問を解消できることを期待して、昨年、12月末に大川小学校跡地を訪れました。学校跡地から見える山の斜面は急で、山に逃げることも十分危険なように思えました。もし私がその場にいたとしたら、やはり山には逃げなかっただろうとその時は簡単に結論づけました(後日、勉強不足ということがわかりました)。

しかし、遺族の怒りが収まる気配を見せないこの事故が、その後も気になっています。

続きは後日。