いっしぃの舘

やってられるっ

いっしぃの舘

最後の運動会

5月20日(土)は矢巾中学校の運動会でした。息子も3年生、我が家にとって最後の運動会です。天気は快晴、BGMもとても良かった。Heart and Soul(浜田麻里)、Sky High(Jigsaw)という、正に我々と同年代の先生の選曲とお見受けしました(笑)。※学校での音楽利用について Q&A集

息子曰く、彼らの組は代々勝てないというジンクスがあるとのこと。そのジンクスを破るために駆け抜け、後輩達も頑張ってくれて午前中は良い雰囲気でしたが、その願いは残念ながら届きませんでした。

息子は組団駅伝のアンカーで個人の出番がありました。我が家にとって憧れのアンカービブスだ!
一人追い抜かれ、おまけに何故かコースを間違えるというハプニングはありましたが、かえって思い出になりました。

息子が作成に関わった陣地の横断幕も、なかなか繊細で、美しさは4つの組の中でナンバーワンだったと私は思いました。しかし、優勝を勝ち取ることはできませんでした。龍の顔がもう少し大きかったら良かったかな??

結局、競技の部、応援の部、陣地の部、いずれも上位に入れず、ジンクスどおりの結果となってしまいましたが、とても見応えのある最後の運動会でした。ひとつひとつ、行事が終わっていきます。。。

福島

ゴールデンウィークは、福島県石川町強化練習会に参加した矢巾中学校ハンドボール部の様子を見に行ってきました。会場はクリスタルパーク石川、山間部の町にしては立派な施設で、学法石川高校がありますし、スポーツ振興に力が入っている様子が窺えます。

参加した学校は、男女とも福島県内外から多数、千葉や埼玉の中学校からの参加もあります。体育館2面、屋外10面のコートで、2泊3日練習試合漬けです。様々なチームと対戦し、自分たちの強み、弱みが確認できたことを期待します。息子の話は。。やめておきます(笑)

帰り道は石川町からいわき市へ、そこから国道6号線を北上しました。理由は、原発事故の放射線量の多い帰還困難区域の状況をこの眼で見たい思ったこと。広野町、楢葉町、富岡町とニュースで何度も聞いた町を通り北上していきますが、国道沿いは、やや寂れた地方のバイパスと同じ雰囲気で被災地という感覚があまり有りませんでした。

しかし、大熊町、双葉町に入ると様子が変わってきます。

一見、普通の町に見えるものの、バイパス沿いの全ての店、ガソリンスタンド等の入り口が封鎖されています。市街地への交差点も、警備の人がいるところもあれば、完全封鎖のところもあります。一時帰宅の団体の方々のマイクロバスも停まっていました。

時間が止まったような町を興味本位で訪れたことを恥ずかしく思いましたが、現実は見られました。

帰還困難区域を通り抜け、久しぶりの営業店舗である、浪江町役場近くのローソンで一時休憩。そこから先の南相馬市では、全く普通の日常生活という風に見受けられました。※いろいろ、ご不便はあるかと思います。

帰宅後、この地域の自宅への帰還を果たしたご家族の明るいニュース映像を見ましたが、現地を訪れなければ分からなかった感動がありました。必ずしも帰還することが最善ではないご家族も多数おられると思いますが、あの現実を忘れられるような生活を取り戻して欲しいと思います。

盛岡市内一周継走大会

第71回盛岡市内一周継走大会が県営運動公園陸上競技場を発着点とする周回コースで行われ、息子が中学校の部に選抜選手として出場しました。息子ら3年生は、先週月曜の修学旅行でも、お台場の砂浜で練習したらしいです。先生方、そこまでやる?と思いましたが、伝統らしいし絶対に良い思い出になるでしょう。ありがとうございます。

陸上競技場に来ると思い出す娘と息子の小学生の頃。見ている親も、緊張で震えながらカメラのシャッターを切ったものです。今日は、選手に選ばれた幸せだけで、余分な期待は無かったので気軽にレースを観戦できました。

選手が一斉にスタート。息子は第4走なので、それまでチームを応援したり、カメラ撮影の練習をしたり。。似たようなユニフォームが多くて間違えそうです。

気軽にレースを観戦と言いましたが、その瞬間はドキドキ。タスキを受け取り駆け出す息子。頑張れ!

最後のハンドボールシューズ

12月に購入した息子のハンドボールシューズが早々に傷んでしまい、また新調しました。前回のシューズ、アシックスは彼の足に合わなかったのか、通信販売で購入したためサイズ合わせに失敗したのか。

その1つ前に店頭で購入したミズノは長持ちしたので、同じ店で再びミズノを買ってきました。残り、4・5・6・7月、彼が輝くことはあるかな?

娘のお城造り

娘の引っ越しが本日完了し、夫婦で帰ってきました。

お嫁ちゃんと娘、私の3人で出発したのは25日の午前3時、荷物を満載して東北自動車道で南下し所沢についたのは午前10時。部屋のレイアウト、ホームセンターや100円ショップへの買い出しで、初日は午後8時までかかりました。2月の部屋探しで娘が即決した物件でしたが、白物家電の置き場所、コンセント、カーテンレールの設置など、あるゆる場面で支障があり大変な苦労をしました。娘が生活に不便しないようにと、夫婦揃って気を揉んだのは、彼女が生まれた時以来かもしれません。

2日目も、生活用品の収納場所づくりのために何度もホームセンターに通い、想定した予算をどんどん上回り、金銭感覚が麻痺状態に。インターネット接続用の機器が届かない、風呂のシャワーが水漏れがする(新品に交換!)、年季の入ったエアコンがいきなり故障する(新品に交換してもらえる!)等のトラブルも相次ぎ、「ああした方が良い、こうした方が良い。」と家族の会話は怒り口調になっていく。。が、ほぼ完了。

3日目は、市役所への転入届を済ませました。

娘は、進路の検討、それよりも前から一人暮らしを渇望していました。その動機はいつの時代にもある、単なる「都会への憧れ」のようでした。ある時、そんな動機なんですよ。。と職場の女性先輩にぼやいたところ、こんな言葉を掛けられました。

「先生(いっしぃ)のお嬢さんは、動機は何であれ、自立しようとしているんです。今は、親離れ、子離れしない親が沢山いるんです。先生は、自立しようとするお嬢さんに育てたんです。それで宜しいんじゃないですか?」

なるほど。娘の一人暮らしに不安を感じりる時は、この言葉を思い出し、良いことをさせているのだと自分に言い聞かせています。

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「これから、サバイバルが始まる。。」

これは、転居先の最寄りのスーパーマーケットで一緒に買物をした時の娘の言葉です。18年間手塩にかけた娘が、世間に果たして通用するのか!?周囲の皆様に、多少の迷惑を掛けるのは致し方ないと思います。ルールを守ったゴミ出し、ちゃんと出来るかな。

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家族3人が引っ越しで悪戦苦闘している間、息子はハンドボールの福島遠征で一泊、一人で留守番一泊でした。こちらは良く出来ました。