10日間を振り返って(その2)

3月11日 地震後

屋外には、卒業式後、帰宅しようとしている学生や親子が沢山いる。帰りの支度ができた者から、少しずつ帰宅していく。学生の安否確認や被害状況の集約のため、皆、事務室に詰める。JRが止まり、どうやって帰ろうか思案中の学生や職員。遠方のため帰れない学生や親は、緊急的に学生寮に宿泊することになる。

ラジオから、沿岸各地に津波が来て被害が出ていることが続々と報告される。沿岸に家族がいる職員らも疲れ切った表情。私もお嫁ちゃんの実家のことがたまらなく心配になる。

道路は、停電による信号停止による渋滞が始まってくる。たびたび来る余震に、みな警戒し、時折屋外に避難しようとする。雪が降ってくる。

停電のまま、17時を過ぎ、暗くなってくる。電話もなかなか通じず、出来ることが限られてくる。たまたま、お嫁ちゃんと電話が通じて、家の被害は無いこと、早く帰ってきて欲しいことを伝えられる。また職場に戻ってくることにして、一時的に帰宅する。

帰り道、線路をくぐる地下道を通ろうとしたが、浸水して利用できず。その場で、若者が、落とした携帯電話をノートパソコンのディスプレイの明かりを使って探している。確か、見つかったはず。「気をつけてください。」とお互い声を掛け合って分かれる。こういう時は、知らない者同士でもこんな気遣いができるのだ。矢幅駅通路も真っ暗だったが、目をこらして何とか通り抜ける。

3月11日 帰宅後

家族3人が、スキーウェアなどを着てリビングに待機している。乾電池式のランタンを明かりにして、テーブルに家族が揃う。ブレーカーを下げる。

余震が来るたびに、「お家が壊れる。」「これからどうなるの」とボロボロ泣き出す子供たちに、大丈夫と言い聞かせる。

地震後、コンビニで幾つかのカップラーメンは調達できた。週末の買い物の前のため、やや食材が不足し、米も残り少ない。断水ではないようだが、念のため風呂や鍋・やかんに水を張っておく。娘の林間学校用に買ったヘッドライトが本当に重宝する。

ラジオで、沿岸の被害状況をきく。津軽石地区も被害が甚大、宮古市役所が孤立、マースの上の階に避難者が居るとの情報に、ますますお嫁ちゃんの実家が気になる。家が巨大な波におそわれるのを想像してしまう。ちゃんと逃げられたのか、気になって仕方がない。「甚大」というこれまであまり使われなかった言葉が何度も繰り返され、事態の深刻さに憂鬱になる。

夜8時頃、八幡平市の実家に電話するも呼び出し音は鳴るのに誰もでない。その地域の被害状況は全くニュースになっておらず、あの激しい揺れに、家が倒壊したかあるいはタンスなどの下敷きになって動けないか、どこかに避難したのか、いろいろ想像する。とりあえず安否確認のメールを送る。

子供たちは、それぞれ大事なものをリュックに入れてそれを車に積み込み、いつでも逃げられるようにしていた。息子は、数日前に買ってあげたラジコンも車に積んでいた。今考えれば、その後どうしようとしていたのか謎。

一度、職場に戻り、再び21時頃自宅に帰る。途中、コンビニが営業していたので寄ってみる。ご苦労さまです。ラーメン、そば、うどん類はなく、辛うじて米1kgがあったので買っておく。

家族みな食欲がなく、何も食べずに寝ることにする。とにかく余震が怖いので、キャンプの寝袋を出して皆1階に一緒に寝る。この時点で、私としては1週間の停電・食料供給ストップを想定していた。

3月12日(土)

朝、5時頃起きる。天気が良いのが救い。食料品を調達できるかどうか偵察するため、6時頃、街に徒歩で出かける。途中、藤原さんと会う。その時間帯では、当然無理だった。南矢幅12地割付近で、道路の陥没が多数あり。陥没にはまり、動けなくなって放置されている自動車あり。携帯電話は繋がらないこと、バッテリーの節約のため電源をオフにしていたが、オンにしたところ八幡平市の親からメールが届く。メール打ちが不慣れなせいだと思うが、「だいじょうぶだ4」とふざけた文面。しかし、安堵する。

帰宅し、前日に食べなかった昼の弁当を食べる。前日に職場で「卒業を祝う会」があって会食があり、弁当は食べなかったのである。その予定をお嫁ちゃんに伝えていなかったので余計な弁当を作らせてしまったのだが食料不足には少しだけ幸いした。

その日、問い合わせ対応、職場の点検等のため出勤する。出勤途中、コンビニが開いたので、とりあえずお菓子を沢山買い込む。

学生寮の様子を見に行くと、男子学生は談話室に集まり、女子学生は管理人さんの部屋に集まり、一夜を明かしたとのこと。食料はかき集めて何とかなっており、ブレッドボードを使って、乾電池式の携帯充電器を自作している電子技術科の学生もいて、雰囲気は明るく、少し安堵する。

大船渡職業能力開発センターの職員の家族から、職員の安否確認の問い合わせ電話を受ける。県庁でも現地と連絡が取れない状況であったが、その日のうちに無事であることが確認される。うれしかった。

午前までは通じていた職場の固定電話が、午後は不通になる。

ラジオで、盛岡市内丸付近で停電から復旧のニュースが流れる。想像していたよりも早い復旧で希望が沸いてくる。

陥没した道路の復旧作業、その現場監督をしているPTA役員の佐々木さんとばったり会う。この事態なので、小学校の「卒業を祝う会」の中止を打診する。その方向で進めることにする。

同僚の職員の話によると、矢巾のマックスバリュは開店しているものの、5時間待ちでやっと買い物が出来たとのこと。余震が心配されるなか、お嫁ちゃんも子供を置いて出かけられまい。自分の生活が心配になる。

食事を抑えていたので、昼のカップラーメンに息子が感激したらしい。それまで、カップラーメンは好きではなかったのに、その日は「おいしい!」と大喜び。

太陽光発電の隣家の方で、炊飯器でご飯を炊いてもらう。

我が家では、この日も宮古(実家、叔父さん宅)や仙台(お嫁ちゃんの姉夫婦)と全く連絡がとれず。

夜は、ランタンやヘッドライトの電池の節約のため、6時に就寝。余震も何とか大丈夫だろうということで、自分たちの部屋に寝ることに。

夜、トイレに起きた時に、外の様子を見ると田園ホールの音符のマークが光っている(後から聞くと、この日の夜に既に通電していたらしい)。

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