古本屋のネットショッピングで購入した「矢巾町史」が昨日届きました。ボーナスの使い道の一つとして、お嫁ちゃんにOKをもらって買ったもので上下巻合わせて6,500円です。図書館に行けば読めるのですが、たまに興味のあるところだけパラパラ読みたい。そして引っ越して7年目、もっと地域のことを知りたかったので。。。
矢巾町の歴史と言えば、避けて通れないのが「徳丹城」なのですが、正直あまり興味がありません。私がピクッとくるのは近代史なのです。
ちびりちびりと飲みながらこの本を読んでいくと、「いいね!」の記述を見つけました。
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商工業と言っても矢巾町に見るべき市街地はない。旧村の中心地、西徳田、上矢次、室岡には小学校もあるので多少集落らしい形はあったが、町というべき姿ではなかった。唯一の町らしい形は矢幅駅前につくられていた。
工場は戦時中の疎開工場であったフシマンが、昭和二十五年に新会社フシマンバルブ製作所(社長 昆貞、現(株)ベンとなった他・・・(以下略)
※矢巾町史下巻p330
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なぜ、「いいね!」と思ったかと言うと、以前やはり古本屋から購入した昭和25年刊行の岩手年鑑にある、この広告が気になっていたからです。
ベンの沿革を見ると昭和25年創業となっていますが、当時の広告は創業40年以上となっています。ううむ、どう見てもこの広告はベンだなと思いつつ、現在のフシマンの沿革を見ると、岩手県紫波郡の工場は昭和25年に閉鎖と書かれています。
ううむ、何があったのだ。
(ベンにお勤めの)近所のO先輩からお話を聞いたり、地区の文化祭で初代社長の肖像写真を見ていたので、フシマンから独立したんだろうと想像していたのですが、その根拠(書きもの)が見つかって、もやもやが無くなりました。
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矢巾に来たのは疎開だったのですね。
すぐに「疎開」&「フシマン」でインターネット検索したところ、以下のサイトに辿り着きました。以前には無かったぞ。
世界の技術|株式会社 ベン – 輝く技術光る企業 – 東京都
優れた企業であることは知っていましたが、この記事を見て自社のルーツを大切にしていることがよくわかりました。
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それにしても、なぜ疎開先が矢幅駅付近だったのでしょうか。
戦前の矢幅駅は、大ケ生金山と鉄索(ケーブルですか?)で結ばれたり、徳田倉庫にそのまま線路が引き込まれていました。駅西には溜め池も多く、天然氷の出荷もあって、駅の貨物の取扱いが盛んだったようです。戦中はそうでもなかったかもしれませんが、白羽の矢が立ったのは、その辺りが理由なのかなと想像しています。
ここには、徳田倉庫に引き込まれる線路、溜め池、(おそらく)フシマン製作所の建物が写っています。