樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇(8月14日放送)
玉音放送の後でも、ソ連と戦った樺太(サハリン)の日本陸軍師団と巻き添えになった民間人の記録ドキュメンタリー。私の母が、樺太で生まれているので興味深く視聴した。
停戦後であっても、ソ連の侵攻を食い止めるべしの大本営命令を受けて戦った現地師団は、武器弾薬が乏しい中、民間人の少年なども兵士として養成、投入した。満州、朝鮮半島、そして樺太を大国との緩衝地帯として、明治以来、ロシアそして後のソ連の南下政策に必死に抗ってきた日本としては、この地を譲ることができなかったのだろう。当時を振り返る老女の「露助」という表現は、当時の常識だったであろうソ連に対する憎しみと軽蔑を如実に表していた。
ルーズベルトの死去という幸運もあって、北海道の一部占領は免れた。長年のロシア・ソ連の侵略をしのぎ今の日本の繁栄があり、米ソの代理戦争であった朝鮮戦争が後を引く現在の北朝鮮情勢があることを思えば、あの戦争は過ちだったとは言い切れない。