たまには昔の思い出も書いておきましょう。他人にとってはどうでも良い話でしょう。
土曜日は矢巾町も風雪がかなり強く、あまり見たことのない規模の雪の吹き溜まりが至るところに出来ていました。北海道でも歴史に残るような激しい風雪だったようです。
久しぶりにこれらの事実を見て、小さい頃の冬の生活を思い出しました。
私が育った岩手山麓(北側)もなかなか地吹雪が強く、30年以上前は地域住民の手製で暴風柵を数百メートルに渡って築いていました。その道は車一台が通れるほどの未舗装の道路。田んぼの中の一本道でバス停までは2km弱の道のり。風の強い日の朝は母親がランドセルを風呂敷で包んでくれました。そうしないとランドセルの中に雪がびっしり入るのです。学校帰りには、よく、そうなりました。
当時は今ほど除雪が行き届いておらず、猛吹雪の日には除雪車(と言っても工事用のキャタピラ型のブルドーザ)が来てくれませんでした。そのため、吹き溜まりで道路が無くなり、学校を休んだ事が毎シーズンのようにありました。これは少し楽しい思い出です。
途中で、車が雪道でスタックしていることもしばしばありました。我ら小学生は、それを見るとチャンスとばかりに全力疾走で駆け寄り、後ろから押してあげるのです。うまく脱出できると大人から感謝される。これが嬉しくて仕方がなかったのですね。
怖い思い出は、確か小学5年生の頃。風雪が強く集団下校となったのですが、バス停を降りて1kmも歩くと、そこからは一層風雪が強く、瞬間的に一緒に歩いている友達の姿が見えなくなり叫び声も聞こえない程の風雪。冷たいシャワーを浴びた時のように、呼吸がおかしくなります。やがて道路はなくなる。3人で「どうする?どうする?(バス停の所まで)引き返すが。」と右往左往しました。
途中の記憶はありませんが、とにかく、ある家に何とか辿り着きそこで一休み。
しかし、天候が収まる気配もない。暗くなると家に帰れなくなるというので、その家の主に導いてもらい、途中、父と落ち合う約束で再び風雪の中に。主はかんじきを履き私の手を引き、私は友達の女の子と手をつなぎ雪の中をズボズボと前に進む。地吹雪が、ちょうど子供の顔の高さ辺りを激しく襲うので顔は上げず目をつぶったまま。結果として無事、家に帰ることができ、こうして生きています。
この度、北海道で大変悲しい事故がありました。心よりお悔み申し上げます。私の体験は道路事情・除雪事情が悪い頃のものですが、事情が良くなった現在においてもこのような事が起こるなんて、地吹雪は本当に恐ろしいものです。