松尾鉱山を知る図書

鉱山はかげろうの如く(やまはがげろうのごとく)

  • 著 者:高橋勤
  • 発行年:1991.11.25
  • 出版社:岩手日報社

著者が少年時代に過ごしたサンル鉱山(北海道)、勤務した中竜鉱山(福井県)、松尾鉱山での日々について、創作を加えて書き記した物語です。鉱物の価値、鉱山経営、職制、日常生活、人間関係など「鉱山とは何か」を教えてくれる名著だと思います。 松尾鉱山の話題については、著者が鉱山の生え抜きではないことから、社内での人間関係において苦労があったようです。それゆえ、当時の経営者や上司について冷静な評価をしており、エネルギー産業の変革期の中で経営の合理化が適切に行われていなかったことを指摘しています。

岩手県政夜話-大橋初郎記者の記録-

  • 著 者:大橋初郎記者の記録刊行委員会
  • 発行年:1976.3.25
  • 出版社:熊谷印刷

戦前から昭和30年代にかけて、岩手県政について論じ続けたジャーナリストの記録集で、昭和42年から「岩手の農協」に連載された”県政あれこれ”をまとめたものだそうです。 松尾鉱山については、北上川流域の鉱毒被害が戦前から深刻であったこと、それに対して、重要な軍需産業の一つであった鉱山の保護のため県が適切な対応をとらなかったこと、閉山期の廃水の処理について当時の通産省と県がその対応をめぐって応酬を繰り返したことなど、公害対策に関する記述がほとんどとなっています。また、少ない記述ですが、盛岡高等工業専門学校(岩手大学工学部の母体となった)の誘致に関して中心となった雪沢県知事と、松尾鉱業からの寄宿舎建設費寄付の経緯が紹介されています。

「さけび」松尾硫黄鉱山に生きて

松尾鉱山の閉山期の、従業員や家族の労働運動を克明に記しています。この本により、エネルギー革命による炭鉱産業の構造転換を政策として進めていた通産省が、硫黄産業の構造転換には冷たかったことを知りました。もっとも、硫黄については独り勝ちであった松尾鉱山、それが故、一企業を救済する措置として目出しされなかったという不幸もあったのかなと思います。本書は、前半部分の相当が、鉱山閉山期の従業員の不安、悲しみ、厳しさを伝える貴重な写真集となっています。撮影者は著者ですが、写真家としても相当な実力をお持ちの方と思います。 ところで、松尾鉱山の住宅廃墟を紹介する写真サイトがいくつかありますが、「なぜか便器が転がっていることが多い」との紹介があります。本書によれば、閉山時に多くの住民が去った後も、山に残った住民がいたとのこと。そして、アパートの部屋が歯抜けで空室となったために、水道管破裂等が相次ぎ、特に水洗トイレの破損が相当あったそうです。各写真サイトで紹介されている廃墟の謎がわかったような気がしました。

心に生きるふるさと 写真帳 松尾の鉱山(やま)

松尾鉱山の創業から閉山までの社史と呼んでも良いのではないでしょうか。鉱山の会社組織や生産設備の変遷、皇室・来賓を迎えた記録、生活、サークル活動、労働組合組織、学園など鉱山全体の当時の様子が良く分かります。豊富な写真、イラスト、年表、岩手日報や松尾鉱山ニュースを引用して詳しく説明されています。

涙橋で-松尾鉱山・ヤマ人たちの賦-

  • 著 者:三船剛由 写真:工藤政志
  • 発行年:1995.7.7
  • 出版社:株式会社コスモヒルズ

松尾鉱山で生活した多くの方々の証言を集めた、往時の松尾鉱山を偲ぶ本です。

とうほく廃線紀行

  • 著 者:高橋弘喜、児玉直人他
  • 発行年:1999.12.15(初版)
  • 出版社:無明舎出版(秋田市)

昭和43年生まれの私が、幼い頃に見た松尾鉱山鉄道(大更から屋敷台まで)を走る車輌の記憶は、本物だったのか幻だったのか。それが気になって借りた本です。昭和47年に運行を終えたとされており、私の記憶はきっと本当だったのだと思われます。 路線の沿革、廃線跡を旅した様子を写真数点を交えて紹介しており、松尾鉱山の他にラサ工業宮古工場専用線、国鉄山田線支線(宮古駅から宮古港まで)、岩手軽便鉄道(花巻から仙人峠まで)花巻電鉄(花巻温泉から西鉛温泉まで)、北上線(和賀仙人から陸中川尻まで)を掲載しています。(一路線当たり4ページ程度)。

盛岡スキーエリア風土記

  • 著 者:村井正衛
  • 発行年:1989.1.10
  • 出版社:株式会社熊谷印刷

昭和10年代、昭和30年代に起きた八幡平高原登山での遭難事件、八幡平スキー場開発ストーリーに鉱山の記述があります。